みのしまです(^-^)ニッコリ
2159人。
これは警察庁がまとめた2015年の年間過労自殺者の数です。
自殺である、という点が個人的には衝撃的でした。
「忙」とは字のごとく我を失うと書きますが、忙しすぎるとまさに字のごとく、自らを葬り去ろうとするシステムが人間には組み込まれているのでしょうか。
新聞、テレビその他のメディアはそこまで熱心な報道には至っていないようですが、
僕に言わせれば、「社会の病理」ここにありです。
先日オリンピックのための国立競技場の建設作業員が尋常を越える残業の果てに、その命を落としたなんてニュースもラジオで流れていました。
人の屍の上で成立する祭典など僕は絶対認めないし、そこまでの価値もないと思います。
さて、ブラック企業というネーミングが囁かれはじめて久しいですが、
企業努力と人権無視という明暗のコントラストは、時代ともに徐々にはっきりとその輪郭を見せはじめたようです。
かつて生めよ増やせよの大号令とともに産声をあげた高度経済成長期。
純粋な企業努力が富を増やし、働けば働いた分だけお金になり、仕事が溢れ返っていたあの時代。
集団組織という囲いの中でさえ存分にビジネスとしてのアイデンティティーがあり、資本の増大に驀進する社会に微塵の歪みもなかったあの時代。
そんな時代の儚い面影を追いかけてるのか、いまだにその繭のなかに眠ったままなのか、
もはや終身雇用制度も形骸化し、グローバル資本がなだれ込んできている現在の経済ゲームにおいて、当時のような「いってこーい!」的な戦略が歪みを見せるのは経済ド素人の僕でもわかる。
企業の担い手が労働の先に夢をみることができなくなった。
いや、そんなものはないことに気づいてしまったんですね。
人間の内発性は自らの意志によってしか駆動させることはできず、外部的な力を与えてもそれは横に逃げるだけです。
グローバル化は国家を、企業を、地域を社会をどんどん小さくし細分化し、彼(個人)に世界の真実を映し出します。
そこには丸裸の自分のみが映り、背後には自由のステロイドを注入されたグローバル戦士たちが血なまごになって戦っています。
彼には準備が必要なのだ。
孤独の熱風を遮る鎧が。
道をじぶんで切り開いていく剣が。
そんな準備のもたざる者の心の隙を
ブラック企業は容赦なく狙ってきます。
いつから富は増やすものから奪いあうものへと変わってしまったのでしょう。
かねてより僕の嫌いな言葉。
「生き残る」
このフレーズを聞くだけで、背中のあたりに緊張の電気が走るのです。
劣悪な環境に絶えかねて、自ら命を落としたホワイト戦士は不憫に思うが、
その死はこの狂気を止める枷にはならないと
正直僕は思います。
ブラック企業の根絶より、
ホワイト企業の勃興を。
指針のない豪華船より
絶対に進路のぶれない箱舟を。
ポチャンと船から落ちたくらいで死ぬほど
人は脆弱ではないですよね。
世界は冷淡じゃないですよね。
さあさあ気温もさがってきました函館
皆さん風邪にはご注意を!
ではでは
みのしまでした(・∀・)ニッコリ
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